【虚×嗜好】2020/07
っていうのは嘘で、
きのこの山vsたけのこの里とかいうただただ明治が喜ぶだけの対立構造とか心底どうでもいいけど、
「どっちが好きかは人の勝手じゃない?」
とか言った日にはノリが分からないクソ人間判定を下される事間違いなしだからとりあえずどちらかの派閥に属して置かないと安心して社会で暮らしていけない風潮が憎い。まぁ実際本当にそのノリ理解できてないんだけど。
ただ、「理解できない」と認めたくもないわけです。
「〇〇が嫌い」と「〇〇が理解できない」は似て非なるもの。前者は嗜好の違い、後者は思考の能力不足。「TikTokやりたくないなー」は個人の勝手、「TikTokのどこが面白いんだよ」は即老害認定、それが社会だと学んできました。
それを考慮すると、「ハハハ、その対決人気ですよね。流行っている理由は分かりますよ、分かるんですけどねー、僕はちょっと苦手ですねこの話題…」って方向にまでなんとか持っていきたい。でもこんな回りくどい言い方をしても、性格難アリでクソ人間判定となる結末は目に見えている。さてどうするか。
「私はきのこの山が好きです!」っていう相手の発言でその場が完結する自己紹介ならばただスルーすればいいが、「君はきのこの山派?」ってボールを投げられようものなら、グローブを持っていないこちらはただ慌てふためくしかない。
適当に「はいそうです。」か「いいえたけのこの里派です。」と言えばこんな話のテーマはすぐ収束するに違いないが(その場凌ぎの万能薬、これぞ嘘の最大の魅力)、
それでは「こんな所で嘘を安売りしなくてはいけないのか…」とやるせない。
要するに、このテーマで戦争をしているのは「きのこの山派」と「たけのこの里派」ではないのだ。
「きのこの山・たけのこの里派」vs「どうでもいい派」なのだ。それも、明らかに「どうでもいい派」の方が分が悪い。防戦一方である。
この状況を打開すべく、ためしに第3勢力を打ち立てる事は当然検討される。例えば「すぎのこ村」。「ああ、僕はすぎのこ村ですよ。」って…
しかしそうすると今度は、人と一風違った事言って独自の世界観示してくるクソ人間判定を下されるおそれがある。
「ノリが分からないクソ人間」か、「人と一風違った事言って独自の世界観示してくるクソ人間」か。どちらかお好みの方を選ばなくてはならない、自分のプライドと照合しつつ…
とここあたりで、この戦争は先程述べた「きのこの山・たけのこの里派」vs「どうでもいい派」 という構造でもない事に気づく。
所詮嘘と自分のプライドとのせめぎ合いに過ぎない話なのだ。虚勢と内心の対立。
そもそも「きのこの山・たけのこの里派」の人間は、僕がこの件でここまで頭を悩ませている事に気づいてすらいない。
ヒトが足元のアリを踏み潰しても気づかないのと同じ。いやそれは違うかも。そうじゃなくて、弱者のする仮想強敵とのバトルシミュレーションゲーム自体が馬鹿げているって事なのか。
更に言ってしまえば、こんな事くらいはじめから気づいていて、だけど自分を騙して気づかぬふりをして、なんとか逃げ道回り道くぐって事の焦点ぼやかしていただけで…
…と、こんな事を考えているうちに、ようやく「僕はたけのこの里派だよ」といつでも嘘をつく心の準備が整った。見かけの社会性とはこのように作られていくものか、
あの言動にはどういう意図が奥にあるんだろうかとふと考える瞬間は万人に共通してあるでしょうが、
とりあえず僕が「僕はたけのこの里派だよ」と言う時には上記のような心の内です。