虚シコウ

粗い構成!薄い内容!ほとばしる素人意識!AI社会で虚快に暮らすヒント!

廃墟みたいなブログって何だろう

10がつ27にち


しばらくブログを放置していた。

およそ3週間の放置。長いこと不在にしていたから、久々に覗いたらまるで廃墟を訪れた時のような気分にでもなるのではとの期待もむなしく、特に何の高揚感も得られなかった。


ブログってどれくらいの期間放置すると「廃墟」になるんだろう。

3週間雨ざらしにした程度では、ブログはまだ「廃墟」にはならないということか。

3週間の旅行帰りの自宅は十分に退廃感をプンプンと匂わせてくれるというのに。

現実世界とネットの世界では時の進み方、廃れの進行度合いが違うということか。

いや、旅行帰りの自宅と久々のブログを比較するのがそもそもの間違いか。

自宅の場合、旅行前にある程度整理整頓してからいく。掃除まではしなくとも、電気は消すし蛇口から水が流れていないことをしっかり確認してから出かける。鍵も締める。たまに忘れるけど…とか言いだすとブレるから話を先に進める。

これとブログを比較対象とするためには、僕は一旦今までのブログの記事を一通り見直し、カテゴリ分けとかも適宜し直し、さらに一時閉鎖していなければならなかった。

戸締りなし、電気ピッカピカ水ジャージャーの状態で放置しているようでは何の空虚感も見込めまい。


そもそも、ブログに何の役割を持たせるかということから考える必要があるだろう。

アドセンスアフェリエイトなどを利用しブロガーとして生計を立てている人ならば「職場感」を、

完全非公開で日々の愚痴を書き溜め込んでいる人ならば「自分の部屋感」を装飾したブログを築き上げているのだろう。

別に収益化も過激な投稿もしていない僕は、ブログに「実家のリビング感」を持たせたいと思っている。

ちょいちょい自分語りは挟むけど、自分の本心を100%さらけ出したり生き様を見せるような文章は書かないぞ、って位。

有益性はさておき、軽い息抜きにはなるぞ、って位。


果たしてネット上にある実家のリビングは、現実世界上にある旅行帰りの自宅となり得るのか、廃墟たり得るか。

もしや時間の経過はさほど重要ではないのか。

虚しい文章、虚しい画像を積み上げていけば廃墟と呼べるようになるのか。

嘘の日記でも書きたい放題好き勝手に書けば廃墟か。

所々事実を織り交ぜつつ書けばそれもまた哀愁漂う廃墟か。

何も考えず適当書けばそこが廃墟なのか。

中身要らないな。中身ない物を書こう。廃墟ならばいいでしょう。

たまには中身あるのも書くぞ。逆に廃墟っぽいし。

でもこの文章中身ないぞ。ああ廃墟じゃん。