「耳にたこができる」とは
> 同じことを何度も聞かされて嫌になる
という意味のことわざである。
このことわざが、コロナ禍でマスク生活が続き、マスクの紐の締め付けが原因で本物のタコが耳の裏にできる人の増加に伴って、
> 同じことを何度も聞かされたり "させられたり" して嫌になる
という意味に自然と拡張されるのではないかと予想していたのだが、現状どうなのだろう?
「重複」の「じゅうふく」読みの域には流石に達していないとしても、多少はこのことわざの認識にコロナ前後で変化が現れているのではないかという、ただそれだけの虚しい私考です。