虚シコウ

粗い構成!薄い内容!ほとばしる素人意識!AI社会で虚快に暮らすヒント!

2022、末

『……2022年。虚しい年だった。それも、あまり良くない種類の虚しさだ。理由はハッキリしている。その時の面白さを重視しない・無駄な努力をする・我流を信じない。この三悪を取り揃えたからだ。これまでの自分の信条を否定した結果だ。
虚しさとは「自己の喪失感」なのだと強く感じさせられた。生きていないと虚しい。当たり前すぎる話。

ここでいう無駄な努力とは形に残らない努力のことだ。形に残らない努力を人知れずひたすら積んできました、成果をあげる前に一発事故や大病に遭って崩れました、もう元には戻りません、そこで「僕すごく頑張ってきたんです、本当なんです」 誰が信じるか?証拠がない以上、おひとり孤独に無駄足踏みましたねーで話は終わり。その場でつく100%純度の嘘と区別つかない。
成功に繋がらなかった努力は無駄な努力ではない。失敗という一つの形が残り、そこから広げられる話はいくらでもある。努力の過程を日記なり動画なりに記録しておけば、それがドキュメンタリー作品になる。大小こそあれ何かしらの価値がつく。この努力の種類の違いを見誤ってはいけない。

記録だ!小さなものでも貪欲に形に残していくべきだ。この文章だってそうだ。キモい個人的反省を胸中にしまうな。今、書いた方が良さそう、書く事が面白いと思ったから書く。書けば形に残る。どれ程中身の薄い文章でも、何も残していないゼロの状態より幾分良い。くる年にゆく年の虚しさは要らない。……』

 

12/31、夢を見る。とりとめもない夢の切れ端をつかまえて、衝動的に記録する。

《子供の頃書いた作文を大衆の前で発表する場が設けられていたが、自分の作文は直前で知人に書き換えられてしまった。
自分の発表の番、書き換えられた後の文章をそのまま音読してみたところ、数世代前のネットのノリを浅薄に齧り、様々な外国語を物知り風に乱雑に混ぜ加えられた、読みにくくつまらない文章だった。
自分は本作文の発表後に書き換え犯を呼び出して怒った。悪戯をした事に対してではない。センスがない事に対しての説教だ。お前がつまらんというただその一点に腹を立てているのだ、お前の文を面白く書き換える能力の不足に対してムカついているのだと強調して言い聞かせた。書き換え犯は何も言わず、ただ顔を歪ませていた。》

寓意的な夢を見てしまったな、と少し書き添えた今は、2022、末。