虚シコウ

粗い構成!薄い内容!ほとばしる素人意識!AI社会で虚快に暮らすヒント!

「芸術」を語るのが畏れ多くて鼻につくなら「虚芸術」という言葉を使おう

「前衛芸術」「退廃芸術」「現代アート」等の響きがカッコいいカテゴリに属する作品だと主張するのは気が引けるが、何となく美的な虚無を感じるモノの総称を「虚芸術(void art)」と呼んでみるのはどうか? (「そもそも芸術の本質は虚である」とか「実と虚の境の微妙なところにある(虚実皮膜)」とか、小難しい事は考えない事とする。)

 

美的な虚無を感じさせる要素は
 レトロチック
 大衆向けではない(→前衛芸術)
 既成概念に囚われていない(→現代アート
 無意味・無価値(→超芸術
 手抜き・おふざけ(→クソアート または ただのクソ)
等様々であるが、これらを一緒くたに扱える用語を設けておくと都合がいい。細かい分析やキッチリした学術的分類の過程を省き、ただ「なんかコレいいよね」と感じたモノに1つラベリングをすることができる。

「おたくがつくった建物は何の役にも立たぬ無用の長物なので『超芸術トマソン』ですなあ」や「芸術の事1ミリも知らんけど『現代アート』つくったった!」のように素人が既存の芸術用語を持ち出して知ったような口をきいていると、たまたまそれを耳にした芸術家や評論家、教養人たちにボコボコにされる可能性がある。
そのリスクを避けるためにも、自前の造語を使った方がいい。

「そんなモノは芸術やアートなどとは呼べない!」という批判が仮に来ようとも、「そうですね、なので虚(偽の)芸術ですね」と躱すことができる。状況に応じてアートスイッチのON・OFFができる。

それでいて、へりくだりすぎない。
浅い思いつきと創作意欲に駆られてつくったモノを人前に晒すときなどは特に、言い逃れしやすいように「クソ」とか「ゴミ」とか名付けたくなる。しかし、「し、素人がつくったゴミです…」よりも「私が制作した芸術作品!まあジャンルは『虚芸術』ですかねえ」とかカマした方が気持ちがいい。作品でスベっても、芸術という冠とのアンバランスさ、滑稽さでウケたい。


どんなに自分に芸術的素養が備わっていなかろうと、いかなるチンケなものでも、アートだと言い張ってやるぞという志一本でやり過ごせる、そんな魅力が「虚芸術」という概念にはある。