虚シコウ

粗い構成!薄い内容!ほとばしる素人意識!AI社会で虚快に暮らすヒント!

全ての物書きは冒頭1文の重要性を『桃太郎』から学ぶべし

😜ベロベロバー🤗

さて今回は、日本昔話の代表作(参考:日本の昔ばなしといえば?TOP10 - gooランキング )こと『桃太郎』 の冒頭の1文の秀逸さについて論じたいと思います。

 

一般的な『桃太郎』は、

「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。」

(引用: 桃太郎 <福娘童話集 きょうの日本昔話> )

という風な1文からはじまりますが、これは

「いつ、どこで、だれが、どうした」

と、とてもわかりやすい文のつくりになっています。

もちろん、

いつ=「むかしむかし」

どこ=「あるところ」

だれ=「おじいさんとおばあさん」

どうした=「住んでいました」

となります。


ここで、「あるところ」という言葉は、場所の説明をほとんどしていないようなものです。山でも海でも、天国や地獄でも、どこでも「あるところ」と呼べてしまいますからね。

もっと踏み込めば、人はだれであろうがみんな「あるところ」に「住んで」いるものです。例外もごくまれにあるでしょうが、そんなのはレアケース。

よって、冒頭の1文を読んだわれわれ読者が得られる情報は、

いつ=「むかしむかし」

だれ=「おじいさんとおばあさん」

の2つのみだと言えます。


いったい何年頃の物語なのかは分からないけど、とにかく「むかし」の話なんだと説明しています。

それを、「むかしむかし」と念押しのように2回繰り返しています。

物語の舞台(どこ)については何も教えてくれなかったのに、時期(いつ)については、「昔!とにかく昔!」と強調しています。ここに明らかな作者の意図が盛り込まれています。

その上で、「おじいさんとおばあさん」という「むかし」を感じさせやすい人物(だれ)情報を追加することで、

昔話感をプンプン匂わせてくる『桃太郎』の冒頭の1文が完成する、ということです。

過不足なく物語のはじまりの文としての役割を果たしており、大人が模範的な日本語として子供たちに読み聞かせたくなる気持ちも分かります。

 

もしかしたら『桃太郎』が日本で最も有名な昔話としての地位を手に入れられたのも、このはじめの1文のおかげかもしれません。

はじめの1文が雑でふざけている小説や記事はその後何書いてようがダメだということです、例えばこの記事のように。