虚シコウ

粗い構成!薄い内容!ほとばしる素人意識!AI社会で虚快に暮らすヒント!

「虚」の極地に到達した

8月5日14時半頃、突然の事だった。
白血病寛解導入療法期間中で、体調は決して悪くなかった。

身体があって、
視界もあって、
意識があって、
そして何もなくなった。

「何もない」と思える思考能力もあるのに、
何もない。

自分の中に自分がいなかった。
ただ、その瞬間、世界から自分が消えていた。

臨死体験とも違う。死にそうだという感覚もない。なのに、自分が消えたと思った。

そして15時には元の状態に戻っていた。


あとから、
自分は「虚」の極地にたどり着いてしまったんだ、と思った。
確信した。
あの時、「虚」の核心に触れてしまった。

どうしよう。
きっとこれからの人生で、これを超える感覚を味わうことはない。

説明できない。
ただ、すごかった。
いや「すごい」でもない。もう、よくわからない。


あの感覚を味わってから1週間以上経った今でも余韻に浸り続けているわけだが、
もうあの時の「虚」は完全に形を変えてしまった。

「虚」について考えている現「実」はありありと充「実」しているから、「虚」とは到底対極の位置にあって、だからこそ、満ち足りた状態で考える「虚」の概念は「虚」しくて「虚」偽じみている。

 

 

現時点での自分の考えを強引にまとめると、

<< 実世界と虚世界があって、
我々が考える「空虚」や「虚偽」という概念は所詮実世界の「虚」に過ぎず、
虚世界の「虚」とは別物だ >>

という<<構造>>自体が実世界の「実」、
<<構造>>について考える事が実世界の「虚」である。

……が、そもそも 「虚世界」の定義ができない(できない、という表現もおそらく違う)ので、この考えは正しくない(正しくない、という表現もry)。


ああ、言葉で表現しようとすればするほどどんどん透明度を失っていくというか、カルトチックになってしまうのが残念でならない。
別に哲学を気取りたいわけじゃなくて……

そう、哲学とは真逆だ。
きっと、虚世界の虚とは、感覚によってのみ成立するものなので、
だから、記録する事は不可能である。

……あれ、結果すごい単純な話に落ち着いた?
これだと逆に記録できている事になる?
ん?
?????

 

違う。
多分何もかも違う。
ただ、あの時、自分が「虚」の極地に到達したという確信だけは、どうにも揺るがないのである。