※前回
ナンチャンお気楽ライブとは、"多幸感"の塊だったのだと思う。
多幸感(Euphoria)とは、
・(麻薬などによる)過度の幸福感。陶酔感。
・非常に強い幸福感や超越的満足感のことである。脳内で、快楽などを司るA10神経のシナプス間に、幸福感を司る神経伝達物質であるセロトニンが、大量に放出されている状態とされる。(weblio辞書より)
という状態のことだが、これはナンチャンのお気楽ライブで客がかかった状態と一致する。確かに僕もセロトニンドバドバだった。*1
そう、この時の僕はもう完全に"かかっている"状態だった。その場のあらゆるものが"前フリ"なり"お気楽の演出"に思えてしまって仕方ないマヒ状態、この感覚は実際にその場を訪れないと味わえまい。(①の記事より)
↑の状態とか今考えるともはや恐怖の域である。
そんな多幸感と"芸人的な笑い"は違う。と言い切ってしまうとまるで南原氏が芸人的な笑いをとってないかのような印象を与えてしまうがそんな事は、。そんな事は。。
この両者を明確に区別するには、「前者は虚しさと共存できない、後者は共存できる」という説明が個人的には一番しっくりくる。"虚しい笑い"はあれど"虚しい幸せ"は(詩的表現を除いて)ないという仮説を唱えたい。
なんだかこれは物質的幸福と精神的幸福の対比と対応する気もする。あるいは、0という概念を虚しさと設定したとき、「ない(0)があります」が成立する事実が虚しさと笑いの共存関係を、「0は10です」が矛盾する事実が虚しさと幸せの排他関係を示している、とも言えそうだけど...実際どうなのでしょうか。
尤も今の流行りは誰も傷つけないやさしい笑いのようなので、"多幸感≒芸人的な笑い"が成り立つのは時間の問題なのかもしれない。南原氏はやさしい笑い流派のトップなので、いずれ彼が芸人界の長と称される可能性は十分高い。相方が司会を務める某番組の"笑神様"とは、実質南原氏のことを指すという説もある。
虚メモ
空虚感:「幸福感」と対立関係。「充足感」とどちらが適しているか?