虚シコウ

「虚」に関わるアレコレについて「シコウ」していきます。早い話、雑記ブログです。

「時と場合による」って言葉の違和感

「時と場合による」って言葉に対して、謎の違和感を覚えているのは僕だけなのだろうか。

確信はないけど、「時」が「場合」に内包されている気がするからだと思う。

「時」とか「場所」とか「登場人物」とかをひとまとめにした言葉が「場合」ってイメージ。だから「時」⊂「場合」の関係なのかなーと。

 

あーそういや、「xの値について分類して考える」系の数学の証明問題の解答で、「x=1のとき」と「x=1の場合」、両方見たことあるな。両方書いたこともある。その時の気分で無意識にどちらかの表記を選択していたんだなぁ。

あれって流石に同じ意味だよな?「厳密には異なる」とか平気な顔して言ってきそうなのが数学さんあるあるだけど。これに関しては「時」=「場合」ってことなのか?

 

まあ何にせよ、「時」は別に要らないな。「場合による」コレで十分だよな。

自分勝手な憶測だけど、「時と場による」と「場合による」が混用された結果生まれたのが「時と場合による」、という事ではないか?

「時」と「場」、つまり「時間」と「空間」は相性良いですもんね。いつもバディ組まされがちですもんね。

ポケモンでもディアルガVSパルキアVSダークライってありますよね。つまり、「時と場とダークライによる」って事ですよね。

「宇宙」だって、空間の拡がりを表す「宇」と、過去・現在・未来の時間的な流れを表す「宙」が合体してできた言葉だって聞きますよね。

 

だから、「時と場による」って表現がもともと軸にあって、「場」の部分を「場合」に任せちゃったのが原因だというところでしょうか。

でも「時と場合による」、語感は確かに良いからな...これからも使っていくかは、時と場合によるかなぁ。