虚シコウ

粗い構成!薄い内容!ほとばしる素人意識!AI社会で虚快に暮らすヒント!

急性リンパ性白血病になった

血液の癌を告知された。

 

先日胸の奥にあった腫瘍を生検してもらったのをはじめとする諸々の検査の結果、

「T細胞性急性リンパ性白血病/リンパ腫」

というのが正式な診断名になるらしい。

 

いやー……

一言いいですか?

今の気持ち、一言だけ伝えてもいいですか?

 

 「ガーン」

 

ですよ。

 

…うんまあ実際に告知を受けた時に発したセリフは

「なるほど、つまり血液のガ、ガーン、ってことですね(高速)」

といったザマで、

反省して後で脳内シミュレーションをしても

「まあ、あれですね、あの、ガ、ガーン、。。、みたいな、ハハ、いや、あのちょっと言ってみたくなっちゃって、ふいに、まあ、こんな機会ですからね、。。ぇぇ、」

と全く歯切れぬ返答しか出来なかったので、

ここでズバッと言わせていただきます、「ガーン」と。

 

とにかく、発言に「ガーン」を含めたという事実を作りたかったのです。

「癌」を「病名」でなく「単なる寒いダジャレの上の句」として扱ってやりたい。

白血病側だってまさかスベらされるとは思ってないだろうから。

泣かすか、驚かせるか、はたまた軽くスカされるかのいずれかを想定してやってきた病に対して、

「いいえ、あなたは今ただスベってますよ」

と忠告する。

言わば不意打ちの先制攻撃。

それと類似の発想で本記事のタイトルも『白血病になってみた』とYouTube風にするかと一瞬思ったが、ちょっと健気な強がり感が出すぎるのでやめた。

 

実際、診断結果を聞いた時、不思議と動揺しなかった。

今まで大病の経験もなく入院自体はじめてなのに、入院してから今のところ心の平穏はずっと保たれている。今後どうしていくかのシナリオも複数パターン想定できているし、夜もぐっすり眠れている。寧ろ平時の何倍も生活習慣は整っている。

テンションが乱高低しない元々の性格が効いているのでしょうか。

まあ今はまだ抗がん剤も入れてないし、長い治療物語のプロローグに過ぎないんでね。

これが今後しんどくなってくるとどうなるのか、というのが見物でしょう。

 

とにかく長期戦になる(というか短期で決着をつけられないようにしたい)ので、しばらくはこのブログに、
スケジュール、各検査/治療の副作用 の痛みの度合い、精神状態や考え方の変化 辺りの情報でも記録していこうかと思う。

いや、もっとしょうもない内容、100%自分本位な殴り書きになる気もする。

病気や治療の医学的な詳細はあやふやな記述で誤解を生むといけないので書かない。

 

…かつて遊び目的でイジってた「ごっこブログ」をこんな形で復活させるとは。

まあ元々ある箱を使い回すくらいの力の抜け具合が丁度いいでしょう。

一応ブログのテーマにも沿っているし。「虚しさ」についてどうシコウしていくかというテーマを考えるとき、罹患を通した「虚」への価値観の変化は重要な視点だし。

「THE 闘病日記」とかなんか、のまれてる?感じするし、そんな大層な文章書けないし。

 

2週間記事の更新が止まったら結構心身キツい時期で、
1ヶ月経っても不動なら………「ガーン」な結果だったと、察していただこう。

 

「情報メディア創成学類」の呼称の覚え方

この記事は、mast Advent Calendar 2020 4日目の記事です。

ちなみにmast筑波大学情報学群の「情報メディア創成学類」の事です。"Media Arts, Science and Technology"、頭をとってmastという事らしいです。

ほかにも情報メディア創成学類の呼称はいくつかありまして...

  • 創成 ...健康診断や1-2年次の英語・体育のクラス分けの時などに見かけるので、大学の公式略称は多分コレ。
  • メ創 ...学生はこちらをよく使っているイメージ。個人的には「創成」より「メ創」の方が好き(同じ文字数で情報量が多いから)。もし今後芸専が「コンテンツ創成学類」とか立ち上げたら「創成」奪われるぞ。
  • メディア創成 ...発表の冒頭に「えーメディア創成〇年の〇〇です」という一連のフレーズはテンプレートの如く耳にする。情報が情報落ちするとは何とも虚しい。
  • 情報メディア創生 ...変換ミスが産みの親。そこそこ重要そうな大学からのアンケートでも見かけたことがあるので、誤植ではなく正式な呼称の可能性も十分ある。
  • must ...こちらの産みの親はスペルミス。
  • 春日 ...ウチと知識情報・図書館学類は春日キャンパスが拠点なので、その学生は春日に居を構えてなくとも「春日民」と呼ばれたりする。どことなく自虐的な要素が含まれている気がするのは何故だろうか?
  • 落合陽一のところ ...他学類の人には初めからこう説明した方が大概手っ取り早く済む。
  • 情科 ... "情科(情報科学類)=メ創" だと誤解している人に一度「情科の人ですよね?」と言われた。
  • 情科じゃない方 ...それに対して「あ、情科じゃない方です...」と僕が言った。この返しはマズかった。情報科学類の誰かにどこかで「あ、メ創じゃない方です...」と一回言ってもらわないと、僕の中で情報メディア創成学類は "じゃない方学類" になってしまうなぁ...と思ったけど、今ここでも言及してしまったからもう取り返しがつかないかもしれない。
  • 〆創 ...別に見かけた事ないけど1人くらいは使っているのでは

 

「うわぁ、こんなにたくさん覚えられないよ!」というmast志望の受験生ももしかしたらこの記事を読んでくれているかもしれないので、「鳴くよ(794)ウグイス平安京」的な覚え方を今から示そう(〆創)

「最初からそうせぃ(創成)カスが(春日)」と責められると心が蝕まれてジョーカー(情科)になってしまいそうなのでやめていただきたい。 語呂合わせという話のオチが異様に(落合陽一)弱かったらダメそう(メ創)だし、その前の説明はマスト(must)だなぁと思ったので...

 ......コレです! この文章を覚えればきっとmastの入試は大丈夫! ガンバレ受験生!!

 

さて、ということで記事の本題に...あれ、余談だけでだいぶ長くなってしまった...まだ自己紹介もしていないのに......。

仕方ない、記事はここまでにしておきます。

ケーキドーナツ(4)日記はじめました

"良い日記とはなにか" ーーその答えを模索し続けております。

真のツイート日記 , しりとり日記はどちらも残念ながら1日で頓挫してしまいましたが、まああんな物は未練なく捨て去ってやりますわ。

なぜなら今日から僕は日記の完成形こと「ケーキドーナツ(4)日記」をつけるのだからーー。

動機を問われてもなんとも言えませんよね、せいぜい「ケーキドーナツ(4)の事を考えていたらもう今日が終わりそうになっていたので」としか説明できない。

最近ケーキドーナツ(4)を食べたのか? いいや食べていない。短く見積もってもここ5年は食べていない。というかそもそも見かけていない。直近5年間でケーキドーナツ(4)の姿を確認した覚えがない。

食べたくなったのか? いいや食べたくなっていない。ケーキドーナツ(4)は忘れがたき故郷の味でもなんでもない。

でも、直近5年間でケーキドーナツ(4)をググったり、メモ帳などに「ケーキドーナツ(4)」と書き記した回数は2桁にのぼると思われる。

味じゃない。形でもない。「(4)」、あなたの事が好きです。

あなたの事をふと無意識のうちに考えてしまう直近5年間、いいえ1年間(5) でした。

 

そんな想いを込めて、記念すべき1日目のケーキドーナツ(4)日記を。えー、

・・・今日の僕(1)は、歩(6983)を重ね、授業(3)受けて、YouTubeの動画(30)みた。

やれやれ(18)だった。

つまり、やれ(36)という事でもある。・・・

 

ダメだ、やっぱりこの日記続けられそうにない。やめたやめた。

「ケーキドーナツ(4)日記(1)」でパッケージ終了です。

「真のツイート日記」

"良い日記とはなにか" ーーその答えを模索し続けております。

ちょっと昨日(しりとり日記はじめました - 虚シコウ(ことば・画像))は失敗しましたが、今日遂にその正解を導きました。

私はこれから究極の日記、題して「真のツイート日記」をつけたいと思います!

 

日常のふとした時に口から出たつぶやきを日記として記録するのです。

「なんだ、Twitterの事か」ですって? 見当違いも甚だしいですね。

いいですか、Twitterでの"つぶやき"など真のつぶやきとは程遠いものです。

アレは心に鍵、身体に鎧、顔には外向けの幾重の仮面でガチガチに武装した状態で捻り出されることばです。

自分とは別者の誰かになりきって書かれた文、というよりTwitter上でのX人格に書かされた公文書、それがTwitterの"つぶやき"です。

そんな奴ではなく、ふと無意識に独り言として自分の内側から出てくることば、そうそうお前! お前のことを真のつぶやきと言うんだ。

何気ないつぶやきにこそその人の色が出るのです。「つぶやき」と書いて「タマシイ」と読む人もいます。自分の日々の魂を刻むには、思わずつぶやいた事を逐次記録していくことだ!!

 

さて、それでは記念すべき1日目の真のツイート日記を。

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あー ねむ

あー ふーん ほぅ

さむっ あ寒いな あー

んー

いたっ っつー そうでもないか あー

まあまあまあ んーー

んー ん? うーーん ほー

あー ttっ 

んーー なーるほど そっかぁ

んー ふーーん

あーあー はいはいはいはい

んーーー

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...なんかイマイチなので真のツイート日記は今日でやめます。

しりとり日記はじめました

「日記、毎日書きたいけれど

「私みたいな飽き性が続けるなんて無理よ……

 

そんなあなたに朗報です!!

日記を毎日継続して書きたくなる画期的な方法が遂に見つかりました!!

その名も「しりとり日記」!!!

 

ルールは簡単、日記を「しりとり」のフォーマットに落とし込んで綴っていくだけ!

前日の日記の末尾文字からスタートして、11行をしりとりのように繋げていくのです!

 

メリットはこーんなにたくさん!!

  1. 各行先頭の文字が自動的に決まるから、書きはじめやすい!
  2. ゲームで遊んでいるような感覚でスラスラ書ける!
  3. しりとりにも強くなる!
  4. 初期費用・年会費ともにタダ!
  5. いつでもどこでも、自分の好きなように始められる!

 

それに、しりとりで人生の欠片を繋いでいくって何だか素敵じゃないですか?

 

涙で濡れた昨日の不幸、夢にまで見た今日の感動。

普通の日記ならバラバラな過去の思い出。

 

でもしりとり日記なら明日の自分へと届けられるじゃないですか!!

思いっきり「ぞ」や「る」のバトンを渡してやりましょうよ!!!

 

さあ、あなたも「しりとり日記」はじめてみませんかぁ?

 

 

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さてそれでは、記念すべき1日目のしりとり日記を。

 

きょうは、

はやく起きようと思ったけど、

どうもねむく、

く時くらいに起きた。

たらたらと過ごして、

てんきはまあまあ良かったから、

らッキーだった。

たくさんYouTube観て、

てッテレー 気づいたらもう午後9時はん。10時ちょいまえ。

 

…えー、かくことないな。

なんとかつづきをかく。

くま。

……マスク。

…………黒柳徹子

……………こりゃムリかも。

もう今日でしりとり日記やめます。

すいません

錯覚×錯覚でハイブリッドアート  -虚アート #1.1

大学の授業でハイブリッドアートを制作予定なのだが、そのアイデア出し・プラン検討のスライドを作る際に↓の過去記事を大いに参考にした

 

void00.hatenablog.jp

 

これを基に以下の要領でまとめた。

・概要

錯覚(錯視アート) × 錯覚(「どうせ錯視だから...」と答えまで曲解) の融合、というテイでのハイブリッドアート制作をする。

 

・コンセプト

  人間の固定観念を逆手にとって作られてきた錯視が、新たな固定観念を生み出す。

  「自分の目が正しい!」と思い込んでいるのに騙されるからこそ錯視は面白いのに、

  「目はアテにならんから…」と最初から思われてはつまらない。

  →「少しは自分の目を信じなよ」というメッセージを込めた”錯視”を!

 

・方法

  著名な既存の錯視を加工していく

...前スライドの図はプログラミングで描画したが、もちろん手で描くのもいい。写真や動画等の”錯視”も考えられる。

 

・さらに融合させる?

  • 錯覚 × 錯覚 × ストリートアート (壁に、普通の塗料と色付きだが時間が経つと薄れやすい塗料の2種類を使って本物の錯視を描く。時間が経過し、1種類の塗料のみ薄れると、ニセの”錯視”が残される。)
  • 錯覚 × 錯覚 × ストリートアート × 光 (数種類のライトを用意し、プログラムを組んでオンオフを制御しながら壁画に当てることで、さらに錯視に変化をつける)
  • 錯覚 × 錯覚 × ストリートアート × プロジェクションマッピング(もっと派手に!)

 

あと今、糊とかを使って自然に付着する砂やホコリを利用して「錯視→ニセ錯視」の変化を演出するってのも思いついたけど、まあそれはいいか。もともと付け焼き刃で書きなぐって期限ギリギリに出した雑なプランだから...

今後もこんな感じで自分の過去の記録を活かしていけたら、といった感じ。

上を目指さぬ空虚な人間の哲学集

自分の過去の日記を見返すと、競争社会が社会人に求める気概のカケラもないような思想を綴った文章がいくつも発掘された。

情熱みなぎる文章を書いている日も一定数あるのだが、4~5年前、つまり高校生だった頃の日記には特に、社会的に到底褒められたものではない自分の哲学を偉そうに繰り広げていた。

それらは意識の低い人間がどういう哲学・志向のもとで空虚に生きているのかを理解する一助としての役目を果たす良い記録なのではと思い、以下に抜粋・羅列しておく。

 

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1歩ハズす。

完璧なシコウを求めない。

元々完璧なものを作れないのなら、初めから作ろうとしない。

50100にしようとは努めず、如何に50を魅力的だと思わせるかを考える。

 

わざと正統派からズラす人は世界に数多い。

ただその際、完璧なモノあるいはそれに近い高品質なモノを否定する事例が多い。

自称サブカル好きや自称コアなオタク、個性をアピールしたいセルフプロデュースの塊みたいな芸術家気取りにこの傾向は多い。

僕はそれはしたくない。

基本的に高品質=高評価 という価値観の世界の中で、意味ありげにヒビの入ったモノを披露するから活きるのだと思う。

この価値観を否定してしまうと、駄作はただの駄作。

 

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「はい負けました」から入ろう。

周囲の人間がとにかく俺が勝つ俺が勝つとうるさい。声ではない、気が外に多分に漏れている。

こんな環境下では、「上手に負け屋」の方が重宝される気がする。

周りのやる気が高ければ自分のやる気を落とし、その反対なら気張る。これが最善手なのかもしれない。

 

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評価を上げるより、新たな評価基準を生み出す。

評価を上げることよりも新たな評価基準を生み出す方がカンタンであるから。

510にするために必要な労力の一部を使って、5を「これは素晴らしい5です!」とアピールする。

 

現在、多くの優秀な人は"10""戦おう"とするからこそ、案外このシコウ法は抜け道として有効に機能する。

ただこの際、大元の評価基準を変えようとはしない。

あくまでも10が最高評価であるという従来の基準を、不動たるものとして尊ぶ。

その基準のちょっとハズレに、自分にとって優位に働く基準を"添えて"おく。

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将来性があるのは、「低品質」。

 

「高品質の追求」をコンセプトにすると、益々進化し続ける時代に合わせて学習し続ける必要があり、大変。

高品質な技術や作品の開発に奮闘する人が居る限り、低品質はトリッキーであり続けられる。つまり、頑張っている周囲の人間を見れば見るほど、「低クオリティの将来は安泰だな」と思うわけです。

 

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トーナメント戦というものは、やはり最初に負けた方が楽だな。1つ勝ったら1つ仕事が増えるだけだ。

 

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錆びた刀を与えられた時、一生懸命磨いて品質をあげるか、"古き良きアンティー"として売り出そうとするか。

僕は後者側の人間なんだと思う。

 

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...今回はこの辺で。